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かのや夏祭りの歴史

昭和初期

祇園祭が「鹿屋青年実業団」の手によって始められる

昭和初期

祇園祭が「鹿屋青年実業団」の手によって始められる

昭和初期

祇園祭が「鹿屋青年実業団」の手によって始められる

昭和初期

祇園祭が「鹿屋青年実業団」の手によって始められる

昭和22年

鹿屋商工会議所の設立により、主催:鹿屋商工会議所で行われるようになる。

昭和27年4月

鹿屋市へ助成金の陳情を行う。経費総額64万円のうち、20万円の助成金 を受ける

昭和38年8月

「ばか踊り」が誕生し、北田・大手、本町、向江・共栄の3チーム120名 で実施される。

昭和41年

夏祭りに花火大会が導入される。

昭和44年

夏祭り用に提灯を初めて、装飾・設置。

昭和46年

夏祭りの正式名称を「かのや夏祭り」と改め、鹿屋市と鹿屋商工会議所の共 催で行われるようになる。

昭和50年7月

10年続いた花火大会が開催場所関係で中止に。またこの年、ばか踊りを2日間実施し、42チーム、2,300人の踊り子が参加。

昭和53年

かのや夏祭り行事の中で、「ミスかのや」のコンテストが導入される。

昭和56年

6年間中止されていた花火大会が、鹿屋市制施行40周年を記念して、海上 自衛隊鹿屋航空基地を会場に再開。

昭和57年

「ちびっ子広場」の行事を導入。

昭和61年

「ヤングサマーフェスティバル」と「ちびっ子広場」の行事が鹿屋青年会議 所の手によって行われるようになる。

昭和62年

「イカダ下り大会」の鹿屋川を利用したイベントの登場。

平成2年

「ドラゴンレース大会」と「イカダ下り大会」が鹿屋川で開催。

平成3年

夏祭りのマンネリ化が取り沙汰されるようになり、かのや夏祭り検討委員会 が設置される。

平成5年

「かのや夏祭りフォトコンテスト」を実施。

平成6年

「ばか踊り」の名称を「かのやハンヤ踊り」に変更。「牛深ハイヤ踊り連」 特別参加。「フォトコンテスト」と同時に

「図画コンクール」を実施。

平成7年

「徳島阿波踊りかもめ連」特別参加。

平成9年

夏祭り50年を機に、鹿屋市と鹿屋商工会議所の共催で行われてきたかのや 夏祭りの組織変更をし、「かのや夏祭り実行委員会」を発足。実行委員会主 催で初めての夏祭り実施。夏祭りのマンネリ化を打破するため、再びかのや 夏祭り検討委員会が設置される。

平成11年

「徳島阿波踊りかもめ連」特別参加。夏祭り検討委員会の設置。

平成12年

夏祭り検討委員会の設置。西暦2000年を機に、倭建命にまつわる「曽の 国の火祭り」を導入。山車付きの踊りの廃止。

総踊りのコースが片道コース から周回コースに変更。

平成13年

前夜祭を取り止め、2日間を「曽の国の火祭り」一色に変える。保安距離の 関係で花火大会の開催場所を霧島ヶ丘公園に

移す。3日間連続で行われてい た開催日程において花火大会を切り離して実施。

平成14年

『曽の国の火祭り』をスタートして3年目。イベントの内容は前年と変わら ないが、総踊りのコースが一部変更となった。

平成15年

南国花火製造所の事故(4月)で、当初は日程を2日間とし花火大会を初日 に実施する予定だったが、雨天延期となり結果的には3日間となった。4月から実行委員会をイベント協議会に移行。10月に会議所旧館に移転。

平成16

かのやイベント協議会(エアメモ実行委員会、かのや夏祭り実行委員会)で の実質的なスタート。7月23日(金)、24日(土)、26日(月)の33日間開催。花火大会が月曜日になったのは自衛隊員の日曜出勤が無理な為。

平成17年

3日間で開催。花火大会の会場が諸般の事情で鹿屋航空基地が使えなくなり、NEDO鹿屋アルコール工場跡地(田崎町)に

移転して開催。観客席を鹿屋 商工会議所駐車場に設けた。

平成18年

3日間で開催。花火大会の会場名が組織変更のため、「日本アルコール産業 ㈱鹿屋作業所跡地」となり、2回目の開催と

なった。リナシティかのや工事 関連で総踊りコースを一部短縮して実施。

平成19年

昭和53年にスタートした「ミスかのや」の名称を「ローズクィーンかのや」 に変更し、任期も2年間(平成21年3月まで)

となった。日程を2日間と し、4月にオープンした「リナシティかのや」で一部前夜祭を実施。肝属川 でのタライアスロン

大会が10年ぶりに復活。

平成20年

2日間の日程で開催。前夜祭を2ヶ所(商工会議所、リナシティ)で実施。 新しいイベントとして、「綱引き甲子園」と

「アームレスリング大会」を実 施して好評だった。

平成21年

2日間で開催。花火の打ち上げ地点の変更により、観客席が日本アルコール 産業㈱用地になった。

平成22年 ※中止

宮崎県で発生した口蹄疫の感染拡大防止のため、すべての日程を中止した。 イベント協議会事務局を資金不足のため3ヶ月間(8月~10月)閉鎖した。

平成23年

3日間で開催。前夜祭はイベント広場及び水辺広場にステージを設置して実 施。本祭の総踊りコースは市役所から北田交差点及び北田交差点からとうや までの間バスは迂回路を使用、また、とうや前を片側通行にした。子供神輿 が2基復活した。

花火は21年と同様であった。

平成24年

3日間で開催、前夜祭は水辺広場ステージ前の肝属川に初めて水中舞台を設 置して実施した。総踊りの参加者は昭和56年以来31年振りに3千名を越 えた。また、志布志、串良からの初参加があった。花火は開催場所等は昨年 と同様であったが、

台風15号及び16号の影響を連続して受け2回の延期 を余儀なくされた。

平成25年

2日間で実施。前夜祭及びタライアスロン大会を取りやめ。総踊り41チー ム、3,300人で昭和56年以降最高の出場者数を

記録。 花火大会を昨年までの新川町(会議所)から、鹿屋港(古江港)で実施。22尺玉花火、尺玉30発を含む8,000発の

花火を打ち上げ。

平成26年

当初予定していた本祭8月9日(土)花火大会10日(日)を台風11号の 影響を受け本祭8月23日(土)に延期 総踊りは、当初より3チーム減と なったが37チーム2,618人が出場、観客動員数3万8千人、踊りコー スを一部変更。

花火大会8月30日(土)に延期し昨年同様鹿屋港(古江港) で実施し、観客動員数3万3千人であった。

平成27年

2日間ともに天候に恵まれ予定どおり実施。総踊り32チーム、2,700 人が出場、観客動員数3万8千人 花火大会については、

引き続き鹿屋港(古 江港)で実施、演芸会を追加し、2尺玉を含む8,000発の花火を打ち上げ、 観客動員数3万6千人であった。(鹿屋市市制施行10周年記念)

平成28年

神事を5日(金)本祭6日(土)花火大会7日(日)の3日間実施した。総 踊りについては、40チーム、約3,000人が出場し、

観客動員数4万2千 人、プロ自転車チーム・シエルブルー鹿屋が初参加。花火大会については、 4年連続で古江港で実施し、観客動員数4万1千人であった。

平成29年

昨年、神事を前日金曜日実施していたが、以前に戻し本祭5日(土)花火大 会6日(日)の2日間で実施予定であったが、

台風5号の影響を受け本祭を 11日(金)(山の日)、花火大会を12日(土)に延期した。総踊りにつ いては、当初33チーム2,700名の予定であったが、延期により25チ ーム2,100名に減少した。観客動員数については、本祭昨年同様の4万 2千人、

花火大会については3万7千人であった。

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